インディジャパン300直前!ロジャー安川インタビュー

2008.03.16(日)

roger_intss1.jpgインディジャパン300への参戦を数日後に控えたロジャー安川が、ロサンゼルスで最終調整中の合間を縫ってインタビューに答えてくれました。この日は、地 元の日系誌とラジオのインタビューもこなしたロジャー。ラジオディレクターに「いい声ですね」とコメントされていましたよ。歯切れのいい話し振りと、優し い笑顔、誰にでも礼儀正しい姿がとても印象的でした。

― もてぎに向け気合十分

もてぎでのレースは気合いが入ります。インターラッシュのメンバーや家族、友達が応援しに来てくれますから。「ロジャー安川」の大弾幕と1,000人の応援団を見ると「おーっ!」と思いますよ。それにもてぎツインリングはオーバルのコースの中ではチャレンジング。角度や路面状況ですべて違ってくるし、第4 ターンはほかのコーナーに比べ減速しなきゃいけないし。今年の初戦にもなるので、できるかぎりのことは準備しようと思ってます。

― カーゴ2機で40台を運ぶ

インディジャパンのために、インディの本拠地インディアナポリスからレースカー40台と機材をカーゴ2機で日本へ輸送します。さらにメカニックなどのチームスタッフを乗せる飛行機を一機チャーター。それはもう大掛かりです。私も日本へ行く直前、インディアナポリスへ行き、自分の体に合ったシートを用意します。ビーズが入った袋に座って、中の空気を出しビーズを固めて固定するものなんですが、これがぴったりすぎて体型を崩せないんですよ。25、6歳の頃とは違って、太ったらやせるのが難しいんですよ。

― ロジャー流レースの楽しみ方

もてぎのいいところはコース全体を見渡せること。全部の車を目で追いかけよう首を左右に振るのはやめてください。酔いますから。それより、1台をずっと追いかけることをお勧めします。それが77番インターラッシュの僕の車であってほしいな。もっとマニアックな楽しみ方は、無線機を調達していただいて、チーム内の交信を聞くというのもあります。

― ドライバーという仕事

ドライバーって実は車に乗っている間が一番楽なんです。でも、レースカーって走る広告じゃないですか。スポンサー、パートナー企業がいてはじめてレースができる。だから僕はスポンサー探しやいろんなアレンジをすることが本当の仕事だと思ってます。でも、下手に言葉がわかるからマネージメントしてくれる人たちにやりづらいドライバーだと思われてるんじゃないかな。でも大事なことは人任せにしたくない。やることやってレースができなかったらしょうがないけど、やらなくてできなかったら後悔するから。それに今の人脈が車を降りたとき役に立つと信じてます。

― ロジャー安川の使命

アメリカンモータースポーツをもっと盛り上げたいですね。日本人ドライバーの中では最多出場しているし、特に日本ではインディならロジャーと言われるような特別な存在になりたいです。え、ナスカーですか?もちろん興味あります。そのうち、インターラッシュカーに乗れたらいいな。


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インディドライバー ロジャー安川ができるまで

― レーサーになったきっかけ

もうこれは父の影響ですね。アメリカで車の並行輸入をしていた父は、大の車マニアで、小さいころからゴーカートを教えてくれました。遊び場はサーキットでしたね。小学校のとき、家族で日本に帰ったころ、父はF1のチームで働いていて、僕にレースをしろと言っていました。母はちゃんと学校に行ってほしかったみたいだけど。

― 勝負したい、白黒つけたい

でも、日本ではジュニアの環境が整っていなくて、12歳までレースに出られなった。それに、(走りが速いと)「軽い」、(遅いと)「若い」と言われたくなくて、勝負で白黒つけられるアメリカに単身で戻りました。12歳でホームステイです。レースではまわりのレベルに追いつくのに1年くらいかかりましたね。しかも、子供だから、がんがんぶつけてくるなど、やることが汚い。結局、ぶつかり合ったドライバーと一番仲良くなりました。

― レースがあったから乗り切れた

僕は生まれながらのバイリンガルと思われがちなのですが、違うんですよ。小学校を日本で過ごしたため、中学でアメリカに戻ったとき英語で苦労したし、高校でイタリアに行ったときも、言葉がわからず大変でした。高校はアメリカンスクールだったけど、レースがあったからイタリア語も覚えられたし、言葉の苦労も乗り越えられたんだと思います。

― ドライバー以外は考えなかった

イタリアに渡ったのはゴーカートが盛んだったから。ちょうど、アメリカの会社がサポートするとオファーしてくれて、即決断しました。その頃、(プロでやっていくなら)ヨーロッパでやらないといけないと実感していて…。ドライバー以外の職業はは考えられなかった。日本では将来何をしたいのかわからない子供たちが多くて、「夢があっていいよね」なんて言われたけど、海外は違う。親父が「外国へ行け」って言ってた意味がわかった気がします。目標がなければ努力もできなかっただろうし。

― 父への反発はなかった

モータースポーツには親の協力が絶対必要。父への反発はなかったです。レースの仕方で議論することはあっても、それ以外の話をすることはありませんでしたね。母はインディのドライバーになるまで、一度もレースを見に来たことがなくて。よっぽど心配だったのでしょう。あと、F1に行ってたら父とめんどくさいことになってたかもしれない。舞台が違うから、良い意味で協力できたんだと思います。

― 「レースでやっていく!」と実感

ヨーロッパにいたとき「レースでやっていくんだ」と実感しました。高校卒業後、イギリスでも暮らしたんですが、肌に合わず、やはりアメリカだなと思いました。翌年新人賞をもらって、25歳でインディのドライバーになりました。「25歳までに何らかのプロになれ」っていう親父の言葉をぎりぎり守れました。

ロジャー安川の素顔

― ドライバーズシートでの気持ち

レースと同じ状況を作り出すことができないので、基本的に精神的なトレーニングはできません。ジムで走っているとき、イメージトレーニングをするくらい。今までの経験があるから、まず緊張しすぎることはないし、ヘルメットをかぶってしまうと、もう一人の世界に入ってしまうんです。僕の場合、耳栓をすると本番モードのスイッチが入りますね。でも、インディ500の決勝ともてぎでは、いつにない緊張感が湧き上がってきます。

― ドライバーはここが凄い

スピードに恐怖を感じたことはないです。ジェットコースターと同じで、1回、2回と乗ると慣れるものだから。それより、怖いのはぐんぐんスピードが上がっていく加速感ですね。レースのドライバーって何が優れているかわかりますか?僕らは運動神経がいいわけでも、反射神経がいいわけでもない。視野が広く、そこにある情報をすばやく処理する能力が高いだけなんです。もてぎのレースで言ったら、平均時速320キロ、一周27~28秒。「あ」って思ったときにはもうそこにいますから。コンマ何秒の世界です。

― 味覚はやっぱり日本人

ロサンゼルスにいる間はもっぱら和食です。イタリアに住んでたこともあって、イタリアンも好きだけど、おふくろの味が一番ですよ。マヨネーズは嫌い。わりと健康志向です。昔は日本の音楽もたくさん聴いていました。カラオケで歌って懐メロと言われて悔しかったり…。テレビはテレビジャパンかスピードチャンネル以外はいらないです(笑)。